記憶をひもといて:「小豆」二題

 スーパーで働いていた時のこと。それは一本の電話で始まった。「自分はコチア産組の組合員で収穫間近の小豆があるが売って欲しい」との依頼だった。小量なら業者に頼んで包装し、売れないことはない。数量を訊ねて驚いた。五00トンは下らないだろうと言う。

 冗談ではない。年間通じても消費される総量はその十分の一以下と言われていた時代、手に負えないので断ったが、買い手を捜すにもノルデステ(ブラジル北部の地域)の生産現場からでは不可能でなんとかして欲しいと泣きつかれ、業者に相談した。「輸出しかない」と商社の人に掛け合ってくれ、話は纏りかけた。生産者からは商談の進展具合、こちらからは収穫時期、発送時期等電話のやりとりがあり、初めて実現しそうな大型取引に期待も込めて神経を集中させていた。

 何時の頃からか電話が途絶え、ついに連絡が取れなくなった。商談は流れた。誠に後味の悪い結末で、頼んだ業者には謝ったが、それだけで良かったのかどうか。

 その後風の便りで届いたのは、収穫間際に長雨が降り、収穫機械も動かせず、唯待つだけだったと。一日々々と眼の前で商品化出来ない小豆が出るのを、打つ手も無く見守るのはさぞつらかっただろうと同情するが、自然の気まぐれの前には人間全く為す術もない。

 もう一件も頼みの電話で、早急に三00?の小豆を都合してくれと言う。スーパーは小売り専門で、そんな多量の小豆は扱わないと説明したが、それが無いと商品の生産が出来ないのでなんとか協力して欲しいとしつこく頼まれ、努力してみますと引き受けた。

 取引業者全員に連絡し、夫々知り合いの生産者に訊ねてみて欲しいとお願いした。

 その時期は丁度小豆の無い時期で、スーパーの棚を飾る商品でさえ不足気味が続いており、望みは薄かつた。待つこと五日、やっと捜し当てたからと、生産者から直接商品を受け取り、これで義理が立つと電話をすると、こちらでも見つけたのでもう要らないと言う。「それはないでしょう!」

 昔は出来た秤売りも、その頃には出来なくなっていて、そつくり倉庫の肥しになってしまう。損失を最小限にとゞめる方法は?と頭を痛めた。三日過ぎた。

 断ってきた業者の息子さんから電話が入った。「あの小豆まだあるか?三?四割負けてくれたら引き取っていゝ」と言う。

 ムッとして親父さんがあれ程頼むので、全力投球で捜し求め、しかも原価で渡そうとした品物、負けろとは何を言うと語気を強めたが「嫌なら置いとけばいゝ」と、ケロリとしている。気安く難題を引き受けた迂闊さを反省しながら、失点覚悟で上司に話し、向こうの値で引き渡した。

 普段は友達気分で取引きしている業者でも、いざとなるとしたたかな商売人で、俄か仕込みの勤め人とは較べられぬ程、冷やかになれることを肝にズシンと応える程思い知らされたのだが、最後の結末まで読み切った、息子の小遣い銭稼ぎのシナリオではなかったかとチラリとかすめるのです…。

(2009年10月10日)