コチア青年が還暦、古希になった仲間を祝うこの行事は、年を重ねた重みのせいか、日本国総領事の方が来賓として出席され、祝辞を述べて下さるのが恒例になっています。
この式典を遂行する側に廻った時、今年はざっくばらんにやりたいと思いました。立派な式典を厳かにやり遂げた後は、主催者側は確かに気持ちの良いことでしょうが、出席された方々にとっては、日頃なかなか会えない、話せない仲間と出会い、式典、祝辞は放っといてでも、飲みながら仲間と語り合う方が楽しいのではないかと思ったからです。
2008年はブラジル日本移民百周年で、大きな団体は何かと忙しい時期です。領事館とて同じだと思いました。招待状を届けなければ、押しかけてまで来られる方ではないので、今回はそのチャンスだと考え、実行に移しかけました。しかし役員の人から「待った」がかかりました。
「これまで毎年続けて来た行事故、急な変更はしない方がいいと思うよ」言われてみると確かに、日本を代表するブラジルでの最高責任者から祝辞を戴くのは気持ちの良いものです。恒例に従うことにしました。
総領事に手渡す招待状は
一、「直筆」であること
一、直接手渡すこと(印刷して郵送等は以っての外ということです)
そこまでこだわるからには、何が何でも来ていただこうという気になりました。 「幸いに?」と言うか、総領事は兵庫県出身の方です。
2006年に参議院議長・扇千景氏と、坂田藤十郎氏(歌舞伎俳優で人間国宝)が来伯(来ブラジル)された時、領事館が県入会の役員の人達と一席設けて下さり、ご夫妻や総領事と、ざっくばらんに話をする機会がありました。その場の話し手は、もっぱら扇千景氏と総領事、共に関西の人ですから話し方に違和感がなく、それにとても話し上手な方々です。
自分達は結婚後、初めての二人一緒の旅行だとか、私達は当時としては元祖とも言えるデキチャッタ婚ではないかとか、トヨタを訪問した時、ガソリン、アルコール、夫々100%の車に試乗してみたが、全く差が感じられず、アルコール車の性能が優れていて感心した。ブラジリアでは政府高官がアルコールを売りこもうと必死だったが、「貴方がたは砂糖の値段が上がれば、アルコールの供給は保証が無いのでしょう」とチクリとやると、「いや、長期契約をしていただければそんなことは絶対に!」とか数々のエピソードを披露して下さり、日本でならとてもこんな機会は不可能だなあと移住して来た者の数少ない幸運に感謝した楽しい一時でした。
そんな経緯があるので兵庫県人会の会長尾西さんに相談したところ、会長日く、「ああそれだったら筆で招待状を書くこと、そりゃあ違うぜ」注文はいよいよ厳しくなって来ます。筆をもったたのは遥か昔、小学生の頃です。ニガ手なことは避けたいので、今回は出来るだけ優しい文章の原稿をカネッタ(ボールペン)で清書して持参することにしました。この道の先輩の話では、招待状を手渡すのは午前中に前もって訪問する時間を指定してもらい、背広姿で出かけること、「ウヘェー」と思わず声が出ました。郷に入れば郷に従えと言いますが、中々面倒なことだなとの印象です。
過去の経験から領事館は最も行きたくない所、出来れば避けて通りたい場所です。しかし、今回はそうとばかり言ってはおられません。でも背広だけは勘弁して欲しいと思いました。
年金生活者になると市内の移動は無料です。大型のメルセーデス・ベンツが運転手付きで利用出来ますが、背広姿での乗車は気分が重く、最後まで何か抵抗がありました。訪問の日時を指定してもらう時に、秘書の方にそおーと訊ねてみました。
「サッパリした服装なら総領事は会ってくれます」、「ホッ」としました。
しかし時期悪く総領事は外国へ出張中、代わりに領事の方が会って下さることになりました。当日、一言、二言、話をして招待状を手渡した直後、「あんた関西の人?」自分は東京住まいだったが大阪育ち、父親に電話する時は、第一声から関西弁になってしまう、不思議ですね、話題が関西弁になりました。NHKのアナウンサーの話すことが、「かきの美味しい季節になりました」勿論「牡蛎」のこと。但しこれを聞く私の耳は「垣」(垣根のこと)の美味しい季節……。それを聞くと「そんなもの食べられへんでえ」瞬時にして頭の方は拒絶反応を起こします。それでいてブラジル語の祖父、祖母は聞き分けられないのですから困ります。
暫く雑談をして退散、領事館も昔とは違って来たのかなあと感じた一時でした。
式典当日、文協、県連は会長代理の方から祝辞をいただきましたが、領事館は会って話をした領事の方でさえ出席がなかったのですから、移民百周年前という時期が余程悪かったのだろうと苦労した招待状渡し、振り返って考えています。