記憶をひもといて:街の鼠は「利口」か「馬鹿」か

 とある店の方から鼠害で困っているが何か良い方法は無いものか、と相談を受けた。

 養鶏家の巡回指導員の頃、広めようと持ち歩いていた「優れた捕鼠器」が納屋の奥に眠っているのを思い出した。引っ張り出すと、年月が経ち金網のアチラ、コチラが錆びついて穴が開いている。全部を解いて張り替えるのは並大抵のことではないが、仕方がない。

 材料を買い揃え、一日かけて張り替えた。手渡す時に伝えておいた。材料費は兎も角、手間賃がうんとかかったので万一鼠が入ったら一匹につき五レアル(今なら十五レアルか)下さいな、と。

 飼料工場や種鶏場勤務の頃、鼠害に悩まされ、いろ々々試したが決定打が無く苦労したが、この鼠取りはその後獣医さんが作ってくれたもの。

 太い針金で直径六十?、高さ十八?の丁度鏡餅形の枠を作り、それに金網を張り巡らす。小さな扉と天辺に大きな穴を作り、底辺めがけ手頃な太さ,の針金を先細りの円錐状に下してある。少々太った鼠でも、前進する段には僅かな力で針金は押し広げられ侵入は容易だが、反対方向、出口への逆行は不可能に近い。想像するに最初は賢い奴が天辺の穴から「スルリ」と侵入し、続いて馬鹿な連中が我も我もと後に続くのか良く入る。

 三個の鼠取りで一晩に六十数匹の鼠を捕獲したと言うから、その効力がわかろうというもの。何カ月かの累積が二千匹とか三千匹捕獲、と言うから、如何に養鶏場は鼠達に天国だったかが理解できる。その捕鼠器を街で初めて使ってみた。一晩にでっかい鼠が八匹入ったと言うが余りにも多過ぎて、代金をせしめることは出来なかった。

 退職後土弄りを始めた。特別のマンジョカ(タロイモ)や日本の薩摩藷を植え、収穫の季節になり、いざ掘り起こそうとすると藷が消えていた。マンジョカがあったとおぼしき場所が空洞になって残っている。家の周囲は空地が多いから、闇に乗じて鼠共がやって来るらしい。例の鼠取りを仕掛けたが見向きもしない。餌が悪いのかと色々変えてみたが結果は同じ、街の鼠は人口を見付け切れないのか、それとも罠だと知って近寄らないのか。捕鼠器がだめならしからば毒餌で勝負、と試してみた。これは良く食べた。

 三日たち、五日、七日が過ぎ、十日にもなると毒餌も底を付く。昔は良く効いた毒餌も今では全く効力がない。毒が弱めてあるのではないかと思われる。製品を変えても同じ結果。これでは毒餌と名のつく餌で鼠を飼育しているようでこれも失敗。

 市販の鼠取りも試してみた。とり餅式、バネ式(虎バサミ式)餌に触れると扉が締まるもの、落とし穴式のもの、次々と試して街の鼠は「利口で用心深い」と思われた。あっけない幕切れで終わったのは、毒餌が切れて三日後に死体で一匹、鼠取りの中でこれも死体で一匹、飼い犬が三匹噛み殺し、どうにか彼等の出没はおさまった。鼠とのイタチゴッコは趣味の藷作りを止めれば終るが、変化があって面白いかと割り切ることにした。

(2009年9月12日)