記憶をひもといて:セルページヤ(ビール)

 レストラン用商品として「缶ビール」を輸入してみましょうと社長に言われた。

  悪くはないが一抹の不安があったので、ある名の通ったレストランの板前さんに相談した。「缶ビール」はたとえ輸入品といえども「缶」で、一流のレストラン内でお客さんに差し出すのは失礼に当りはしないかとの問いに、「その心配は無用、缶ビールは真に輸入品(当時、国産の缶ビールは無かった)珍しい故、いいのじゃないの。但し、余り高いと店では出ないよ」最後の言葉は輸入商にはどしりと堪えるもので、輸入品の良いことはいろんな商品で実証済みではあっても、高価で数が捌けないとその商品の輸入は成立しない。輸入商はおいしくて「安い」商品を捜し出すのに苦心する。

 ビールも缶と瓶。それも普通サイズよりやや小型のものを見本として数種取り寄せた。眺めていただけでは味はわからない。或る暑い日の夕方、「どうです、今日当り試しに飲んでみませんか」こんな申し出を否という者はいるはずもなく、四人揃ったところで近くのバール(酒場)でコステラ(三枚肉)の焼いたものを肴にコップに少量ずつ注ぎ分けた。

 適当に冷えていてどれも甲乙つけ難い程うまかった。数本の小瓶と缶ビールはたちまち空になり、なんとも口さびしい。

 ビールを飲んでいるのにあの「コク、コク、コク」の繰り返しがない。量が少なすぎた。仕方がない。国産で腹の虫を抑えようと何時ものマルカを注文し、コップになみなみと注いでビールはこうでないと、と飲んだのだが…。「ああー」輸入品との間にはこんなにも差があったのかと改めて気がついた。

 ビールを飲む時は、間違っても輸入品から始め国産品に切り換えることだけは「しないこと」をお伝えしたい。しかし、そんなことが解るようになったのもかつての仕事の副産物か、とニヤリとした。養鶏技師として初めての巡回地区は上司と一緒だった。生産者と親しい上司をみると「おー、良く来てくれた」と昼間からビールが出た。普段飲まない者には余り歓迎すべき飲み物ではない。チビリ、チビリと口をつけていた。全く飲まなければ良かったのだろうがコップを受けたのが悪かった。

 二回目、一人で訪問した時以前飲んでいたからとビールを出されたが、本当に飲むと酔って仕事にならない。事情を話してお茶にしてもらい、訪問最後の養鶏家では少しは飲むように心掛けた。慣れとは恐ろしい。一、二年もするとコップ一杯だったのが瓶一、二本まで増えた。しかし、仕事を辞めると元の生活に戻った。ビールは飲まなくなった。

 あれから何年過ぎたのだろう。国産缶ビールもいろんな種類が出回っているし、輸入品も手に入る。マルカ(商品)によってどんな差があるのか。国産缶ビールもうんとおいしくなったかも知れない。同じマルカを三缶購入して夕食前と後に一缶を分けて飲む。一度に空けると酔ってしまう。うまい国産品に出会うのを楽しみに独りでサウーデ(乾杯)。

(2010年5月15日)