日本人が好んで食べるカボチャは二種類ある。一つは圧倒的に生産量の多い「てつかぶと」二つ目はうんと少なく、あの広いセアザ(中央市場:サンパウロ食料売買センター)でも2カ所しか見られない「えびす」とくにこの後者の良く熟れたずっしりと重い逸品に出会うと、思わずニヤリと笑顔になる。
昔は生産者に知識が不足していたのか、客の好みもあったのか、随分と若いうちに収穫され青々としていた。上手に炊いても「ほっこり」した感じには程遠かった。近頃は表皮の一部が黄橙色になるまで待って収穫されるようで、非常に良い品物に出会うことが多くなった。
養鶏場勤務の頃は社宅住まいだった。どんな経路で入手したのか記憶にないが、この「えびす」の種が手に入った。社宅の周囲はだだ広っく、少々の作物なら植える土地は充分に有るので蒔いてみた。種は芽を出し順調に成育し花が咲き実をつけた。
注意して観察すると「私は如何にも日本製」と云わんばかりに、この広い土地に遠慮しいしい蔓を伸ばし次々と花を咲かせ実をつける。狭い日本の畑で躾られた如く大層効率がよい。数えてみると、九つ実がついている。最後の実が収穫するには未だ早かったので、もう少し待とうとその日は思い留まり二、三日して畑へいって驚いた。「ない!」ことごとく消えていた。
収穫の日を楽しみに待っていた人が他にもいたらしい。そんなこととは夢にも思わず世話をしていたのだが、後の祭りで仕方なし。「武士の情け」せめて一、二個は残してくれればと思うのは負け犬の遠吠えか。
あの日以来、このカボチャだけは二度と植える気持ちが湧かなかった。時期になると毎週この「えびす」カボチャを見、買って食べているうちにも一度植えてみる気になった。
良く肥えた種を選び植えた。蔓の伸び方はあの時と変わらずそろり、そろりだし、花も良く咲く。実がついても、暫くすると腐ってくる。天候もその時はぐずる日が多く雨の日が続き温度も低かった。そんな条件下でも変わった奴はいるようで、徐々に実を太らせ直径十ニセンチ程にまで育ったが、それが限界で腐った。
連続して実らぬ事に気を取られ、忘れていたことがある。農業の世界では種を制する者は世界を制すると言われている。毎年多量に使う植付け用の種、高収量を約束する種(交配種)。次世代の品質と収量は期待出来ぬという。種は毎年買い求めねばならない。種苗会社が良い種を作るほど、巨大化する可能性がこの辺に存在する。そのことを思い出すと、種を買えば済むが家族が減った現在、九つも一度に収穫したら後が大変。フエイラ(青空市場)で買い求めて満足すべしと思い直した。
(2010年6月12日)