人にはどうしてもあの人は苦手だとか、或は気後れがして、という人が存在するらしい。A社のベンデドール(販売担当者)がその人で、彼の攻め方は何か違っていた。
「今月はこれが特価品。値段はこれこれ、ぐーんと落としているから何時もの二倍の量は買って欲しい」、確かに値段は魅力的だ。その値段で買って売れば倍は兎も角、30%は余計に売れそうだ。そんな下心ありと察すると「自分の奨める量を買っておけ、一月たってもいたむ商品でもなく、それに来月はもうこの値段ではないから」と売らんが為の言葉は次々と出て来、留まることがない。日本にはこんな場合でもやんわりと断る手があるが、そんな方法はブラジルでは通用しない。「嫌なら嫌」、「ダメならダメ」と彼以上にしやべって自分の意思表示をすべきなのに、言葉がスラスラと出て来ない。ひたすらこの店ではそれ程の量は売れないから、と自分の考えを繰り返し、時間をかける防戦一手に徹するばかり。相手とて次の予定があるだろうし、私の同意のサイン無しには品物は送りつけられないのでこんな消極的な方法でも最後は仕方なしに「じぁ、何時もの五割増し」と一応こちらの我慢出来る範囲で手を打つことになる。一月が過ぎ、多少在庫にその商品が残っていても、通常以上の売り上げがあるので、支払いへの支障はない。やれやれなどと思っていると又彼が現れる。
「今月はこんな新製品が出来たので買って欲しい。まだ良く知られていない商品なので価格は特価。十箱くらいならどうだろう。このスーパーの能力からすると軽い、軽い」こちらの考えがまだ固まっていない間からまくしたてられ頭の中はくらくらする。雲行きが怪しく成りそうだと観て取ると、突然話を変える。
「人生は三種の鳥に喩えられるが知っているか」、「青年、壮年、老年、だけど日本では鳥に喩えたっけ?」などと考えていると「それはこうだ」と話し出す。最初は「ファルコン(鷹)」若々しく勇ましい。次は「アギヤ(鷲)」雄々しく威厳がある。「最後は何だと思う」「うーん、わからない」「コンドル」「あのメキシコの国鳥?他の二羽に較べると見劣りするね」言いながら薄くなり始めた頭の方へ自然と手が上がる。彼はにやりとして「コンドルはCOM・DORあっちが痛い、こっちが痛い、の年令の意」説明終えて又ニヤリとする。「巧いおちだね」と感心しているとすかさず今回の商品だけど、と商談に逆戻り。「あゝだ、こうだ」と繰り返し、結局少し多いのではないかな、という量を押し付けられたような形で話が落着く。気を引締めて販売しなければ在庫に残るぞ、と身震いする。
どう贔屓めにみても今回の注文も相手に負けたようだ。こんなことをしていては、コン・ドールの年令が早くやって来るな、とそんな気がする強い相手でした。