サンパウロ市内に、イジェノポリスという地区がある。公園があり、それを囲むかの如く高いビルが林立している。
そんな街中の一隅に、よくあれ程の空き地があったものだと感心する程、大きな立派なショッピングが建った。綺麗でゆったりした館内に入り、ショーウインドの中の商品を眺めて歩くと、余裕のある客層を意識した商品群が、陳列されていることに気付かされる。このショッピングを核に、周囲の街を歩いてみると、仕事上の勘で何か売れそうだ、との期待感が持てた。二度、三度足を運ぶ内に、一軒気になる建物があった。託児所ならぬ「託老所」かと思われる程、年配の人達が屯している。昼食時にはまだ早過ぎる。然し、好奇心の方が優って、ある日入ってみた。丁寧に作られた料理が数多く用意されたポルキロ(料理の計り売り)のレストラン。年金生活者と思しき人達が、昼食にはまだ早い時間帯から多勢集まって食事を楽しんでいる。ゆったりした時間が流れていた。
この店を知ったことから、この地区はプレゼント用の商品なら売れそうだ、との確信を得た。後はそれを買ってくれそうな店を探し出すこと。ショッピングに,戻り、流すように店々を眺めて歩いていると、或る店の前で足が止まった。「南部鉄ビン」を売っていた。日本人の店なのだろうかと入ってみた。若い娘さんが四人。ドーノ(主人)らしい人は見当たらない。一番年嵩のモッサに話しかけた。ドーノは誰、本日不在の訳は、商品購入はその人?、自分に必要事項を次々と訊ね記億していく。後日ドーナが来店すると言われた日、出掛けたが会えなかった。「将を得んとすれば、まず馬を射よ」ではないが、ドーナと会うためにも彼女達と友達になって置かないと正確な情報がもらえないな、と考えて足繁く通った。店はドイツを本店とするチェーン店で、同じドーナが所有する三店の内の一つ。商品は世界各国のお茶と関連商品。気になった南部鉄ビンもドイツからの輸入品。日本発、ドイツ経由では、運賃、関税、二度払っていることになる。同じ商品を日本から輸入し買ってもらえれば、コストは下がるはず。適当な製造メーカを捜し、カタログを日本へ注文する。一体何度通ったことだろう。ドーナ不在の時は彼女達と話していた。仕事のこと、将来のこと、家族のこと、父親の病気のこと、身体の調子の良くない時はマッサージをしたり、まるでテンポロン(時期はずれ)に産まれた子供が一挙に数人増えたかのような心境。自分の子供なら決して聞いてくれない正論でも、一応は年の功、聞いてくれ、年長者の人生経験を積んだ強みは思わぬところで役に立つ。
肝心の仕事の方も、その頃にはボツボツと注文も増えた。何しろ四百、五百レアルの南部鉄ビンがスー、スーと売れる店、変な商品は紹介しづらい。
一度サーモスタット付きのポットを売った。卸値でも高価な商品。店に出た値札を見て驚いた。正気でこの値段をつけたのかと。それすらも三月足らずに売れた。それならこれはどうだと見せたカタログ。一グロス単位の特別注文。一四四個の商品が入っている。特注なので他店には全く無い利点があるが、気に要らないからと返品はきかない。それ故、商品の選択は余程慎重でないととんだことになる。
然し、乗ってきた。久々の大きな注文。その品をそつくり届けた時点で後任者に後をまかせ、私は戦線から離れた。
二年が過ぎた。あの商品は果たして売り切れたのか。友達になった子供達はどうしたろう。気になって或る時出掛けた。「ジャスミン入りの緑茶」も買いたくなった。相変わらず無料で駐車出来る場所がない。
チヨット懐かしい気分になって店に入る。見慣れた子供一人が店番で大袈裟に驚き、ブラジル式の挨拶をされてドギマギし、元気で良かったこと、商品は売り切れたこと、二人の仲間は辞め、一人は本部勤めになったこと等、共通する話題をこんな若い娘と話せるとは、これが元気をもらえると言うことかと感じつつ、短い楽しい時を過ごした。その後も時々ジャスミン茶を買いに行ったが、或る年店を閉じた。
二年が過ぎた。他所にも店があったことを思い出し、その一つに出掛けた。例のあの娘がいた。結婚し、近々子供が産まれると言う。なるほど、でっかい腹をしている。自然分娩で産むと言うので、マッサジスタの興味からチョット調べさせてもらった。「安産間違いなし」を伝えると嬉しそうだった。
お茶が切れたのを期にその店へ求めに行った。何時もの娘が居ない。新顔だなあと思いつつ店に入った。
相手はじっとこちらを見ている。最初は考えるような、訝かしがるような顔、そして顔全体の筋肉がふうーと緩んで笑顔になり、嬉しそうに抱きつかれた。まるで映画の一シーンのような顔の変化が面白かった。六年振りに会う本部勤めの娘。あの頃からすると、随分大人になった。何時もの娘は男の子が産まれ、自分がピンチヒッターの店番。安産だったと言う。元気で良かった、と話し合い「大人になったみたいだけど、あんたも早く嫁に行った方がいいのじゃないの」と仲間を例に話すとニヤリとしていた。
自分の子供でも、時がたてば親離れして行く。まして彼女達は他人の子供、もっと早々に離れて行くにしても、こんなにも広いサンパウロの街で、気軽に話せる子供達が居ることは大変嬉しいこと。
昔、子沢山のお母さんに「そんなに多勢子供が居たら、さぞ子育て大変でしょう」との問いに「五つ育てりゃ五つの楽しみ」と答えたとか。分かるような気がします。