記憶をひもといて:眠 気

 年を重ねると、人の身体は少しずつ変化するものらしい。若い頃起こらなかったことが何時の頃からか現れはじめ、それが日常茶飯事となる。気付いた時点で早く手を打てということなのだろう。

 仕事柄、車を運転することが多かった。困ったのは食後の「眠気」、とりわけポカポカした天気の好い日、奥地の養鶏家を訪問する時に、それは突如襲って血る。目的地はずっと先なのに道は真っすぐ、誰も通らず、目を奪われるような景色の変化もない。全てが眠気に加担する。一度なら兎も角、度重なると危険なので色んなことを試みた。簡単なのは口を動かしておくこと。ガム、飴、暫くは保つ。気付いたら、ガムを噛んだまま「ウッラー」とする。ハッとして正気に戻る。冷たい水を飲むと少しは違う。然し冷たい水を何時も用意出来るものではない。覚えたマッサージの技術に、人の身体はどこであれ触れている間は脳はそれを感知して眠らないものであると言う。試すのは絶好のチャンスと、片手はハンドル、空いた手はふともも辺をマッサージする。成る程、眠りはしないが眠気が消えた訳ではない。物陰に隠れて様子を伺っている。手を休めようものならさっと現れる。敵は大層辛抱強い。ガソリン・ポストが見つかるとそれだけで眠気は退散する。事故が起こる前に室内での仕事に変わったのは、正解だったのかも知れない。

 ある頃から県人会に出席し始め、会議にも参加しだした。一月に一回、食事をしながらの集まりは、決まった顔触れで、「やあ、元気か元気か」でビールで軽く乾杯。会議が終わっての帰途、トンネル内で「フゥー」と気が緩む。ハッとしてハンドルを握り直し、昔の眠気が復活したのに気が付いた。形を変え、意外な所で顔を出す。ビールはコップ半分が限度と知る。

 皆んなと一緒に飲むのは楽しいが、その後事故になりました、では話にもならぬ。番茶で我慢するしかない。もうこれで大丈夫だろうと思っていたのに今度は別の形で現れだした。

 マッサジスタ(マサージ士)も専門分野があっても良いのでは、と考えた。自分で決めた分野の患者さんを治療する。患者が全く来なくても構わない。年金だけで細々と暮せばよい、とそんな気持ちでやっていた。

 或時、こちらの望む患者さんがやって来た。難病に属する病気なのに怖いとは思わず、何故か嬉しかった。治したい。治ってくれと治療に励む。治療の回数が重なると、僅かに効果が見え出した。治療後自分の気持ちが非常に良い。まるで自分がマッサージを受けた後のように身体が軽い。試しに脈拍を調べてみる。

 四八と出た。普通は六0前後。これでは眠っている時の脈拍数ではないか。身体を動かしているのに、眠気も感じないのに私の神経は眠っている。気分が良いのは気持ち良く目覚めた状態故なのか。理由づけの難しいこの身体の状態に多少とまどいながら、又その患者さんが来るのをまっている。