記憶をひもといて:早退(はやびけ)  ・・・・[完]

 辞書をひくと早退「はやびけ」定まった時刻より早く退出することゝある。全て正しいはずだのに、私にはちょっとひっかゝる。他の人は良く知らないが、関西育ちの私の頭の中では「はやびき」と言う。私が間違っているのだが習慣である。意識をせずに話す言葉は、はやびきと言っていた。別の言葉もある。「樋」がそれで、家内からは間違っているよ、と言われても,疑問が残り辞書をひく、「とい」と読む。私の頭の中では「とゆ」となる。

 その後関西育ちの人に訊ねたら、当然でしょうと言わんばかりに「とゆ」と言われ、自信を得たが関東育ちの人と話をする時は、余程の注意が必要だ。前置きが永くなった。

 或時、風呂につかりながら永い勤め人の人生で二度「はやびけ」したことを思い出した。一度は長女誕生の時。私達はこの伯国(ブラジル)に夫々独りでやって来て知り合い一緒になった。両親はここに居ない。長女は帝王切開で産れたので産後は余り動き廻れない。家事の何割かは私が引き受けねばならない。上司の粋な計らいで、二時間早く帰宅することを許してもらった。

 私の仕事は孵化場で、産れて来る雛の品質管理(雛の元気度チェック)で、雛の発生は仲間が出社する二時間前から始まっている。そんな現場の仕事に合わせて働いていたので、許可してもらい易かったのかも知れない。

 早目に帰宅して一体何を手伝っていたのか、と考えても中々思い出せない。家事は雑事の集合したもので全てが少しずつ、然し全体なので一つ一つは取り出せないがオムツの洗濯だけは記憶に残っている。当時我が家には洗濯機なるものは無く、紙オシメも知らぬ時代、洗濯は避けて通れない。最初はゴム手袋をはめ、こわごわやっていたがどうももどかしく、何時の頃からか手袋ははずしていた。

 三年後長男が産れた。長女は三歳、まだ手のかかる年齢だったのにこの時は「はやびけ」した記憶がない。二度目の「はやびけ」は家内が脳梗塞で倒れた時。子供達と三人でスケジュールを組み、交替で介護に当たった。私の番の時は上司に頼み、二時間早く退社した。この時は上司も会社も別のところで一、二回なら兎に角早退が続くと上司の風当たりは強く、雲行きは怪しくなって来た。思うにちゃんと給料を支払っている以上チャンと働くのは当たり前という時代になっていた。昔の悠長さは無くなっていた。

 子供達にも疲れが見え出し、或る日家内が言った。

 「会社を辞める訳にはいかないの」その一言でハッとなり、このまま半身不随で余生をつき合うのはお互いに損と会社には翌日辞表を出した。私にはマッサージの特技がある。兎に角治してしまえば文句はない、と頑張った。症状も比較的軽かったのか三ヶ月で自分のことは独りで出来るまで回復した。今考えても、よくぞ勉強しておいて良かったとホッとしている。仕事を辞めた今、もう「はやびけ」する機会は巡って来ない。

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?記憶をひもどいて…     完 

発行日? 2010年9月15日

発行者 鎌 谷? 昭?(?Sio Paulo-SP BRAZIL)

発行所 日毎叢書企画出版