日本から後生大事に持参した書類の中に黒い小型の手帖がある。古びた表紙を開くと、大型自動車免許証とある。
熱帯、亜熱帯の農業に憧れて仲間が集まり、勉強会だ、研究会だと騒いでいたが、誰かが今の内に自動車の免許証くらいは取得しておこうよと提案し、目標は定まったが先立つものがない。バイトにバイトを重ね挑戦したのは大型車。
タッラプをヨイショとよじ登り大きなハンドルの前に座ると、足も気持もフワフワし慣れるのに時間がかかった。アクセルを少し踏み込むと、あんなデッカイ車が軽々と前進するが、頭の方がそのスピードについていけずハンドルを切る腕はしばしば遅れ気味。バックしながら右か左にハンドルを切ると、片腕だけでは支え切れず、ハンドルはバネのように独りで走って戻ってしまう。横に乗った教官が、「この手がダメ、この腕でしっからハンドルを支えないと」と、ピシャ、ピシャ叩かれ注意を受けるが何せ腕力がなさすぎる。腕だけでは抑えきれないのなら、腰をハンドルにくっつけろとの最後の助言で巧くいき、難関は乗り切れた。
日本の免許は練習も実地試験も教習所内。街の道路を一度として走ることなく、練習に練習を重ね、試験も通過。そして免許証を手にした時は嬉しかった。
そこは茨城県の訓練所。ブラジルを目ざす仲間20数名が農作業、言葉の勉強、体力強化に懸命に取り組んでいた。
ある日、農作業に出かけようと全員がトラックの荷台に乗り込んだが運転手がいない。教官が誰か運転できる者は、と全員を見渡した。誰も名乗り出ない。仕方なく免許証だけは取りました、と告げると、「じゃ、君が運転していきなさい」とキーを渡された。免許取得後初めての運転、初めての道路である。田舎道は対向車もなくゆっくりと走らせた。目的地は狭い脇道に入って行く。頭から入る車庫入れの要領と、頭の中で練習を思い出し、少々おお廻り気味にハンドルを切り左折した。しかし、どうしたことか車は停まってしまった。ミラーで後を見ると荷台の中央辺り、道脇の細い電柱がくっついている。車が前に行けば前に、後に戻ると後へと電柱は電線と一緒についてくる。
荷台の外側についた金具が電柱にガッチリと食い込んでしまったらしい。何回か試したが離れる様子はなく、匙をなげた。―手に負えない。困った事態になってしまった。
その時「俺がやる」と名乗り出てハンドルを握った。車はまるで魔法でもかけたかの如く真横にスーと動いて電柱から離れた。彼の腕前に感心し上手な訳を訊ねたら「俺は長距離運送会社のクモ助よ」との返事が返ってきた。更新することもなく、ただ保管し続けている免許証。たった一度の運転。真にペーパードライバーの最たるもので、こんなケースは少ないのでは、と思うと同時にこの手帳を手にする時は窮地を救ってくれた彼の若々しい顔が浮かんでくる。