サンパウロからの小話15 コンクリートミキサー車(A 鎌谷)

 人にはそれぞれ変ったクセがあるものですね。車の横に家内を乗せて走る時は、意識して極力避けるようにしているのですが、独りのときはいつの間にかその癖がでてしまいます。

 その日はコンクリートミキサー車の後ろについて走っていました。トラックの後について走るクセは、鶏の巡回指導をしていた頃についたもので、奥地の街道を独り目的地まで向かって走るのは案外退屈なものです。前方にトラックを見つけると急いで近づき、ある程度の距離をおいて走ると、仲間ができたような気になって安心して目的地に向かえました。そんな過去の習慣がなかなか抜け切らないのです。このミキサー車から、昔巡回訪問していた養鶏場のことを思いだしました。

 その養鶏場は奥地の大都市近郊にあり、伯人が経営する中規模ていどのものでした。採卵鶏が主力で、街が近いので生産された卵は直接契約店へ卸せるし、その場所でも高く売れました。他の養鶏場と違うのは、多数のあひるの放し飼いです。鶏のこぼしたエサや農場内の若い雑草を食べさせ、エサ代無しに生産された卵は数多く、高価でよく売れたので、場主は満足していました。何年間もそのやり方でやってきたので自信もあり、私が忠告するあひるの放し飼いは止めなさい、という指導になかなか同意が得られません。

 しかしあるとき私が心配していたことが起こり、あひるが病気になり、地域の獣医さんも同じ意見で、治療のためには一か所に集めて飼うしかなく、余っていた鶏舎に全羽数を収容しました。困ったのはエサ。エサをやらないことには鶏舎の中にはあひるの食べるものは何も落ちていません。毎日エサを与えてわかったのは、あひるはこんなにも卵を数多く産む鳥なのか、ということ。これまではエサをもらえないので盛んに歩き廻り、エサを探し、申し訳ていどに卵を産んでいたのが、毎日目の前にエサがあるので安心してそれを食べ、産卵率も急速に上がってきたのです。正にケガの功名でした。

 その養鶏場へ行きだして気が付いたのですが、他の養鶏場では見られないほど、場内がコンクリートで敷き詰められ、鶏舎間の道、少し離れた鶏糞を貯めておく収糞場への道まで、幅広い、厚さが優に10cmを超えるコンクリートの道で、そのため作業は非常にやりやすいのですが随分お金もかかったことだろうと或る時訊ねてみると「否、たいしたことはない」との返事。

 そのタネあかしは近くにある生コンを届ける工場にありました。そこで働く運転手たち全員に届けた生コンが何らかの理由で残った場合、遠慮なく自分の養鶏場まで来て投げ捨てて欲しい、お礼に卵をあげるからと、売るのが厄介なヒビの入った卵を気前よくあげたそうです。

 生コンの車が来ると、場内にくらす人間総出で、さっと作業を済ませ、その蓄積がこの結果、と地の利を生かした農場経営、参考になる点他にも多くありました。